1000回ほど抱きしめてビートルズ

とまあ夜になると頭がおかしくなるよ。

理想の対義語は現実なんだと。

最近はすこしは現実を見るようになったよ。

前の僕は現実逃避ばっかりしてた。

本当に「現実なんて知るもんか」の勢いだったと思う。

だけど現実逃避しか道がなかったんだ、きっと。

どんなに気持ちを伝えようとしても伝わることなんかなくてさ、そりゃ現実逃避もしたくなるよね。

だけど勘違いしちゃいけないのは「夢」と「現実逃避」はまったく別物だということだよ。

人にはそれぞれ夢があると思う。

僕も同じように夢がある。

僕の場合は現実逃避から生まれた夢。

だけど時間が経つうちにだんだんと変わっていったよ。

夢にはほど遠いもの携わっているんだから。

現実的な夢。

そして夢のような夢。

どちらも同じ夢なのに違うんだ。

夢のような夢。

夢にまで見る夢。

大きすぎて抱えきれないんだ。

現実的な夢は努力が必要になると思うんだ。

ん?努力って言うのかな?

だけどそれにちかいことだと思うよ。

技術を必要とすることが大半だろうな、きっと。

だからどちらの夢も大きいんだ。

何よりも夢を抱いている人がその夢をどう思っているかで夢の価値とか大きさが決まるんだと思う。

そんな価値とか大きさとか測ったりはしたくないけどね。

夢を見ていいんだ。

いや、夢を見なきゃ。

だけど時に現実も見つめなきゃならない。

人間を続けるかぎり。

目先のことばっかりじゃだめなんだ。

きっと・・・

きっと現実を見つめるってことはこういうことなんだよ。

大人になっていくのも同じことなのかなあ。

普通に子供をやってるつもりだった。

普通に少年をやってるつもりだったんだ。

だけどなんか違ったのかなあ?

わからないけれども違ったのかなあ。

僕はこれからちゃんと大人になれるのかなあ。